【補記】「君がため」は「惜しからざりし」でなく下句「長くもがなと思ひぬるかな」にかかる。 19 伊勢 いせ 原文 難波潟 みじかき葦の ふしの間も、あはでこの世を 過ぐしてよとや (なには わ がた みじかきあしの ふしのまも、あは わ でこのよを すぐしてよとや) 現代語訳 難波潟に生えている葦の、その短い節と節の間のように短い間も、あなたに逢わずにこの世を過ごせと言うのでしょうか。 24 菅家 かんけ 原文 このたびは 幣も取りあへず 手向山、紅葉のにしき 神のまにまに (このたびは ぬさもとりあへず たむけやま、もみぢのにしき かみのまにまに) 現代語訳 今回の旅は幣の用意もできませんでした。
css "padding-bottom" ,10 ,this. 侍従・左兵衛佐を経て、天禄二年 971 、右少将。 《》に,1235年,()の依頼により,に貼る色紙のために,天智天皇より家隆・雅経に及ぶ古来の歌人の歌各1首を選定し,染筆した旨の記事があり,百人一首の成立を語るものとみられる。
一人でも五人の曲をここまでやれるんだ!みたいな。
寒々しくも激しい情景が目に浮かぶようです。
藤原義孝は、いまから1050年ほど前の貴族です。 3 柿本人麻呂 かきのもとのひとまろ 原文 あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の、ながながし夜を ひとりかも寝む (あしひきの やまどりのを お の しだりを お の、ながながしよを ひとりかもねむ ん ) 現代語訳 山鳥の長く垂れ下がっている尾のように、長い夜をひとりで寝るのだろうか。 My life would have been well spent on you. 喋ってる内容とかは本当に断片だったからオンエアを楽しみにすることにして、ただひたすら五関さんを凝視してて。
2大中臣能宣は、いまから1050年ほど前の神官です。
92 二条院讃岐 にじょういんのさぬき 原文 わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の、人こそ知らね かわく間もなし (わがそでは しほひにみえぬ おきのいしの、ひとこそしらね かわくまもなし) 現代語訳 私の袖は、干潮の時でも見えない沖の石のように、人は知らないが、涙にぬれてかわくひまもない。
35 紀貫之 きのつらゆき 原文 人はいさ 心も知らず ふるさとは、花ぞむかしの 香ににほひける (ひとはいさ こころもしらず ふるさとは、はなぞむかしの かににほひける) 現代語訳 人のほうは、心が変わったのか、さあ分かりません。
良い歌ですねえ。 なーーーーーーにを言ってんだってセルフツッコミする余裕もなく、多分さっきより顔面蒼白通り越して死相が出ていたんじゃないかって顔してましたねわたしは。 どうだったかな…もしこの記憶が正しければ本当にごめん…でもちょっと正気を失うくらい可愛かった。
17激しく恋した女性に想いが通じ、はじめて一夜を過ごした後。
【補記】詞書の「一条摂政」は義孝の父、。
最高の場所で、最高の楽を迎えられたからかな。
43 権中納言敦忠 ごんちゅうなごんあつただ 原文 逢ひ見ての 後の心に くらぶれば、昔はものを 思はざりけり (あひみての のちのこころに くらぶれば、むかしはものを おもはざりけり) 現代語訳 あなたにお逢いして契りを結んでから後の、恋しい心に比べると、それ以前は何の物思いもしなかったと同じことだ。
323 大江千里 おおえのちさと 原文 月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ、わが身ひとつの 秋にはあらねど (つきみれば ちぢにものこそ かなしけれ、わがみひとつの あきにはあらねど) 現代語訳 月を見ると、心がさまざまに乱れて悲しいことだ。 1235年 1 成立か。
97 権中納言定家 ごんちゅうなごんていか 原文 来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに、焼くや藻塩の 身もこがれつつ (こぬひとを まつほのうらの ゆふなぎに、やくやもしほの みもこがれつつ) 現代語訳 いつまで経っても来ない恋人を待っております。
執念の勝利だと思う。
79 左京大夫顕輔 さきょうのだいぶあきすけ 原文 秋風に たなびく雲の 絶え間より、もれ出づる月の 影のさやけさ (あきかぜに たなびくくもの たえまより、もれいづるつきの かげのさやけさ) 現代語訳 秋風に吹かれてたなびく雲の切れ間から漏れ出る月の光がはっきりとしている。 恋しい女性のもとに逢瀬に出かけて一夜を過ごし、帰った後に一首したためて贈った歌で、こうした歌のことを「後朝(きぬぎぬ)の歌」といいます。
7つれない恋人のせいだ。
助動詞の解説は「」にまとめましたのでご確認ください。
子に三蹟の一人藤原行成がいる。
こんな若さで死んで、この素敵な歌だけが後の世への 忘れ形見?と思うと哀しい気持ちになりますが、 義孝さん、ちゃんと一人息子を 遺していまして、その人の名は 藤原行成。 姉の懐子か)の夢にあらわれて詠んだという歌。
67 周防内侍 すおうのないし 原文 春の夜の 夢ばかりなる 手枕に、かひなく立たむ 名こそ惜しけれ (はるのよの ゆめばかりなる たまくらに、かひなくたたむ なこそをしけれ) 現代語訳 春の夜の夢のようにはかないものとして、あなたの腕を枕にお借りすることによって、つまらなくも知れわたるような我が浮名 うきな がもったいなく思われることです。
これは男女が一夜を共にした翌朝に送る、いわゆる後朝(きぬぎぬ)の歌。
【特典3】京都情報や百人一首など特別コンテンツの配信いたします。
怖かったよ、顔はバツグンに可愛かったけど。 はこのSLTで初めて入ったんだけど、代々木よりセットも演出も活きている感じがしたなぁ。 音羽山は現在の京都市山科区にある山で、清水寺の背後にあり、音羽の滝で知られています。
【他出】義孝集、今昔物語、大鏡、袋草紙 【主な派生歌】 しかばかり契りしものをさだめなきさは世の常に思ひなせとや [和泉式部日記] しかばかり契りし中も変はりけるこの世に人を頼みけるかな 時雨とは千草の花ぞちりまがふ何ふる里の袖ぬらすらむ (後拾遺500) この歌、義孝かくれ侍りてのち、十月ばかりに、賀縁法師の夢に、心ちよげにて笙をふくと見るほどに、口をただ鳴らすになむ侍りける。 「命がなんだ。
夜行バスでのんびりのんびり向かって朝には着いて、化粧してグッズ並んで大阪の波打ちバングルをゲット。
美貌で知られた。
【補記】『撰集抄』等によれば、摂政藤原伊尹邸で連歌の催しがあり、連衆が「秋はなほ夕まぐれこそただならね」への付句に苦心していたところ、当時十三歳だった息子の義孝が進み出て「荻の上風はぎの下露」と続け、喝采を浴びたと言う。 【 詞書(ことばがき )】とは、その歌を作った日時・場所・背景などを述べた前書き。 「命がなんだ。
内容はやっぱりオンエアされてるし未公開の部分もあんまりネタバレは良くないらしいから書かないけども。 89 式子内親王 しょくしないしんのう 原文 玉の緒よ 絶えなば絶えね 長らへば、忍ぶることの 弱りもぞする (たまのをよ たえなばたえね ながらへば、しのぶることの よわりもぞする) 現代語訳 私の命よ、絶えてしまうならば絶えてしまえ。
この公開録音の日はわたしの誕生日で、決まったその時は正直この日に公開録音が決まったことを恨みました。
昔なじみのこの里では、花が昔の通りの香りで匂っていることです。
「思ひけるかな」は、思っていますという意味です。 。
・・・そんな私が、こうしてあなたと二人、 幸せな日々を過ごしている今は、 「あぁ、いつまでもずっと長く、 このまま暮らしていたいなあ」と、 欲張りな気持ちになっていたりするのですよ。
10 蝉丸 せみまる 原文 これやこの 行くも帰るも 別れては、知るも知らぬも 逢坂の関 (これやこの ゆくもかへるも わかれては、しるもしらぬも あふ おう さかのせき) 現代語訳 これがあの、東国へ行く人も都へ帰る人もここで別れ、また、知っている人も知らない人もここで会うという逢坂の関なのだ。