やゝ時移れば 「判官輝国只今これへ御出で」 と、家来が申すに老母は驚き、 「丞相は先程お立ち、誰を迎ひに。 今公演の昼の部にて上演されている『菅原伝授手習鑑』より「加茂堤」「筆法伝授」「道明寺」の模様をお伝えする。
9春と八重に守られ、御台所が隠れ住んでいた。
丞相も土師の里へ行くことに決め、輿をとどめたゆえこの地は「安居」と記されるようになったという。
歌舞伎では上演時間の都合上、「寺入り」の部分を省略することが多い。
二段目 道明寺 菅丞相と苅屋姫 の別れと仏像がおこすミラクル 道行詞甘替(みちゆきことばのあまいかいのだん) 安井汐待の段(やすいしおまちのだん) 杖折檻の段(つえのせっかんのだん) 東天紅の段(とうてんこうのだん) 丞相名残の段(しょうじょうなごりのだん) 菅丞相が筑紫(九州)に送られる途中、養女・苅屋姫との親子の別れと奇瑞(きずい)が描かれます。 偽の迎えはその前に丞相を連れ出さねばなりませんから、それより前に鶏を無理に鳴かせて・丞相に朝が来たように思わせようというわけです。
9恋の取り持ちをした責任を感じ桜丸も泣くが、「丞相のためにもやはり姫と絶縁するべきだ」と進言する。 数日後、三つ子の父・四郎九郎(しろくろう)は七十才の誕生日に白太夫(しらたゆう)と名を変え、上機嫌です。
が、受け取らぬと仰るので、娘が最期、婿めがあの様。
菅原道真は土師氏の末裔でして、延喜元年、道真57歳の時、太宰府に流される途中に叔母の覚寿尼に別れを告げるために土師寺に立ち寄りました。
観劇が終り井上邸からの帰途、はよだれくりについて「あの男は家でも線香と茶碗を持っているのか」と侍従に尋ねた。 現に武智鉄二は「清六の三味線は丞相の涙が玉になって流れるかのようでじつに素晴らしくて感激した」と書いているくらいです。
13桜丸と八重が苅屋姫を、うぶな様子にもどかしがって親王のいる牛車に押し入れるが、近代以降には官憲を憚って舞台上の牛車に親王と姫を入れず、「木陰へこそは」云々とに語らせ、ふたりをいったん舞台上手へと引っ込ませるという演出であった。
桜丸が来ないこと、丞相秘蔵の木が折れた理由を父親が聞こうともしなかったことを不審に思い、裏口から密かに戻っていたのだった。
「三つ子なのに顔も心も似ておらぬ」と歎くうち、生まれた時刻になり、息子たちの名前の由来になった庭の梅・松・桜の木を息子に見立てて祝宴を開く。
ではその木像を見せよという覚寿に、サア見せようと偽役人は輿を開けた。 「菅原伝授手習鑑」の特集号は通巻第10号[昭和45年(1970年)10月発行]。
秀太郎さんの覚寿、気丈で格は感じさせるけれど、 台詞が今一つよく聞き取れないところがあって、すっきりしない。
わが身には合はぬ筈、身幅も狭き罪人が、たゞこのまゝにお預け申す。
観ることができた人は本当に幸せだと思います。
のちに翌延享4年5月、江戸のとで歌舞伎として興行され、中村座では8ヵ月にわたる大当りとなっている。 心遣ひなし下されな」 「兵衛殿の義理々々しい、嫁子のところは内同然、断りに及ぶことか。 左大臣藤原時平は皇位纂奪を企み、邪魔な菅丞相を亡きものにしようとしている。
10だがそこへさらに、白太夫が腹を切る刀をに載せ、桜丸の前に据えた。
| 天皇の平癒祈願のため、右大臣道真の代理で左中弁平 希世 《 まれよ 》、左大臣時平の代理で三善 清貫 《 きよつら 》の二人が賀茂社へ参拝する間、賀茂川の堤で休憩していた双方の 舎人 《 とねり 》が喧嘩腰で話を始める。
サ声立てさせぬ無理殺し、歯を噛みしめ放さぬ褄先、切つたことを打ち忘れ、おのれが科をおのれが顕はす極重悪人。
逗留の中に主の像、描いてなりとも作つてなりと、伯母が形見に下されと、願ふた日から取りかゝり、初手(しょて)に出来たは打ち割り捨て、二度目に作り立てられしを、同じくこれも打ち砕き、三度目にこの木像作り上げて仰るには、前の二つは形ばかり、精魂もなき木偶人(もくぐうじん)。
2鳴かぬ時は又分別」と親子が巧み、「南無三宝一大事、先へ廻つて母様へお知らせ申して。 このとき梅王丸が源蔵たちに菅秀才を託すのが、のちの四段目切「寺子屋」への伏線となっている。
伏籠の内を洩れ出づる、姫の思ひは羽ぬけ鳥。
ソレ、引立て」 と、宿祢も続いて立つところを、老母押し止め、 「イヽヤ、責めるに及ばぬ詞のてんでん。
菅丞相(かんしょうじょう) : がモデル(「」は本来「じょうしょう」と読むが、本作では「しょうじょう」という)。 兵衛たちがかねて用意していた計略により、偽の迎えの者達が輿を持って館に現われたので菅丞相はそれに乗り込み、一行は去る。
3月20日観劇。
小太郎(こたろう) : 松王丸と千代の子。
歌舞伎の興行スタイルでは、この物語の事情は皆さんお馴染みなはず…という前提で、 いきなりクライマックスだけが上演されることが多くなっています。 これが 丞相と 苅 屋姫を引き裂く力 として作用するものです。
「筆法伝授」の菅丞相は一応誰にでも務まるが、この「道明寺」の菅丞相は演じる役者を厳しく選ぶといわれ、文楽の人形遣いにおいても、菅丞相はじっと動かずに腹だけでその品格を見せなければならない至難の役とされている。
その気概は舞台からも静かに燃えるように伝わってくる。
八代目もこの希世について、左中弁という公家としての品格をもたせ、そこに三枚目的な要素を加えて語らなければならないので「さう簡単にはゆきかねます」と述べている。 兵衛は前後に心を配り、 「倅、息は絶えたか」 「気遣ひ召すな、只今、と、ゞ、め。 某これへ来たらずば、かゝる嘆きもあるまじ」 と、今更悔みの御涙。
10だがそこへ清貫が仕丁を率い、神事の途中に抜け出した斎世親王を捕らえんとし、牛車の中に親王ありと見て仕丁たちが中を改めようとする。 「寺子屋」は、首実検の緊迫感や松王の本心吐露の悲壮味、一同が小太郎を弔う段切れの哀感など、劇的にきわめて優れ、古典劇中有数の傑作として上演回数ももっとも多い。
互いに牛車をやるやらぬと曳き合ううち、牛車の中より金冠白衣の時平が姿を見せ、「ヤア牛扶持食らう青蠅めら、轅 (ながえ)にとまって邪魔ひろがば、轍 (わだち)にかけて敷き殺せ」という。
十三世の孫・孝太郎はそんな夫をおっとりと受け止める八重の器の大きさと同時に、夫のため、忠義のためなら何でもするというたくましさも感じさせる。